東日本大震災の発生から14年となった3月11日にプロ野球・阪神タイガースの元選手掛布雅之さんが、宮城県気仙沼市を訪れました。
掛布さんは、東日本大震災で亡くなった人たちに黙とうを捧げるとともに、被災者や子どもたちと交流を深めました。
掛布雅之さんが11日に足を運んだのは、「気仙沼フェニックスバッティングセンター」です。

千葉清英さん:「7つの打席数があります掛布さん」
掛布雅之さん:「7つ、右左?」
千葉清英さん:「はい全打席」
掛布雅之さん:「打てるんですね、70キロから」
千葉清英さん:「135キロまで」

経営者の千葉清英さんは、震災で妻や娘、親戚合わせて7人を失いました。
当時、小学生だった長男・瑛太さんと2人きりになった千葉さん。
野球少年だった瑛太さんのために2014年、バッティングセンターをオープンしました。
バッティングセンターの打席の数は犠牲になった家族の数と同じ7つです。

当時の千葉さん:「ここでみんなが笑顔が出て、初めて新たなスタートになるのかなって思ってるんでね」

掛布さんは自ら打席に立ち、バッティングを披露しました。

「ミスタータイガース」と呼ばれ、阪神タイガースの4番打者として活躍した掛布さん。
11日は、訪れた子どもたちの指導もしました。
思わず熱が入り自ら手取り足取り教える場面もありました。

阪神・淡路大震災の追悼イベントで交流したのが縁で千葉さんの招きに応じ、今回の訪問が実現しました。
=午後2時46分の黙とう=

掛布雅之さん:
「違いますよね、重たいですねサイレンの音が、自分の中での気持ちが動きますよね。震災は忘れてはいけないこと、子どもたちが笑顔でバッティングして、非常に厳しい過去だが、震災を伝えていくことは意味があること」

「バッティングセンターは、意味がある場所になっていくのでは」

千葉清英さん:
「最高ですね、続けてきてよかった。野球の知らない子でも掛布さんは知っている。節目の日に来てもらったのは、バッティングセンターのみならず気仙沼市としても、大きな意味があると思う」

初めて気仙沼を訪問したという掛布さんは、被災地の復興を願いながら子どもたちと交流を深めていました。
掛布さんはバッティングセンターについて「古き良き時代の空気感があるところ、ここで練習した子どもが将来、プロ野球選手に育っていったら夢がある」と話していました。
12日は気仙沼市内の中学校を訪れて生徒たちと交流したということです。