野球から陸上へ、その時、父は…
中学までの夢をあきらめ、新たな道に進む決断。両親もその思いを尊重しました
父 土屋修さん:
「人に気をつかいすぎる部分があるようですからね。親のことを考えてしまう部分もあるけれど、もっと自分のことで。ジャンプもできる走りもできるということで走り幅跳びが一番いいんじゃない?と私も個人的には思っていた。本人も適正を自分なりにみつけたのかなと」

聖和学園高校3年 土屋拓人選手:
「自分が活躍できない環境でいるのが、ちょっと疲れたというか。その当時は結構きつかったから、活躍できる陸上の方にいくのが、自分の中でいいのかなと思いました」
中学卒業時、彼が文集に記した決意は「終止符とスタート」。

聖和学園に進学し迷わず陸上部へ。天性の脚力に磨きをかけました。走り幅跳びで結果を出し始め、その記録も大会に出るたびに更新。
そして、生まれた大記録、高校の日本記録までおよそ40センチに迫っています。