けがからの復帰戦 日本平のピッチに立つ

「藤枝での2年がなければ違った現役生活だったかもしれない」という

「エスパルスと日本平で試合をした日のことは覚えている。藤枝入団後、ひざの手術があって、半年間プレーできず、復帰戦があの試合だった。出場時間は短かったが、思い入れのあるチームを戦い、スタジアムでプレーができる喜びや楽しさは感じた」

長年、膝に“爆弾”を抱えながらプレーを続けてきた市川コーチ。2013年、藤枝に加入した時も、決して万全の状態ではなかったといいます。そこで、選択したのが、自分の骨を移植するという手術。サッカー選手として前例はなく、大きな賭けでした。

「(手術をしても)復帰できるか、どうかわからない。そこからのリハビリは、僕自身にかかっていた。でも、あの手術がなければ、この2年間がなければ繋がらなかった。藤枝には自分のプレーヤーとしての、プレーする場所を与えてもらった。自分が最後納得して、引退できることができたので、そういう意味では、もう1度スタートを切れた場所。藤枝での時間は、なくてはならない2年間だった」