自滅した野党と「昭和リベラルの終焉」
これが自民党の積極的勝因とすると、半面の消極的勝因は野党=とりわけ中道改革連合が自滅した面が大きかったと思います。キーワードは「昭和リベラルの終焉」です。
今回、中道の激減が大きくクローズアップされていますが、その陰でもう一つ、歴史的トピックがありました。昭和の政界で長く最大野党だった社会党を源流とする社民党が、ついに衆院で議席を失ったことです。立憲民主の源流は、96年にさきがけや社会党右派などが結成した旧民主党ですが、中道で落選した前職123人全員が立憲民主の議員だったことと合わせて、私には「昭和リベラルの終焉」という、一つの区切りに映りました。
その前提として、まず「昭和リベラル」とは何だったのか、から。源流は社会党です。戦後民主主義の中、労働組合を支持基盤とし、反安保・護憲を掲げて福祉国家を目指す自民党の対抗勢力でした。それが1990年代、平成の幕開けと共に大きく変容していきます。
最初は93年、自民党の分裂をきっかけに新生党や日本新党、社会党など8党派による非自民連立政権が生まれて、「自民党 対 社会党」という55年体制が崩壊しました。政界再編の始まりです。ところが、この政権は1年も持たずに瓦解し、社会党はさきがけと共に自民党と連立政権を組んで、日米安保・自衛隊を事実上容認する方向へ大きく方針転換しました。ただ、その結果、社会党は支持層の反発を招いて党勢が急速に衰え、社民党となって臨んだ96年の総選挙で大敗し、小政党となって今に続いています。
また94年に選挙制度改革で小選挙区比例代表制が導入されたことから、2大政党化に向けた合従連衡で新進党が生まれますが、これも路線対立などからわずか3年で崩壊。その後、鳩山由紀夫・菅直人氏らが結党した旧民主党に社会党の離党組などが加わり、さらに小沢一郎氏が率いた自由党が合流して民主党が生まれ、2009年に政権交代を実現します。
その後は30代以上の方ならご存じの通り、その民主党政権も内部対立や政権運営の失敗などで、2012年の総選挙で308議席から57議席へ、歴史的大敗を喫して政権を失い、自民・公明による自公政権が生まれました。野党となった民主党は4年後、維新の一部と合流して民進党になりますが、翌年には執行部の提案で小池・東京都知事が結党した「希望の党」に合流し、排除されたリベラル派は立憲民主党を結党して2017年の総選挙に臨みました。結果、立憲が野党第一党となり、その後、希望の党は解党して実質的に国民民主党に引き継がれました。
そして今回の結果なんですが、昭和リベラルの衰退は「必然」のように思えてきます。理由の一つは、過去から何を学んだか、です。社会党が小政党に転落したきっかけは、方針転換でした。今回、立憲民主は公明党との合流にあたって、集団的自衛権の行使を含む安保法制の是認や、「原発ゼロ」から条件付き再稼働容認へ、基本政策を修正しました。また、執行部主導でバタバタと他党との合流を決めるやり方は、希望の党の時とそっくりに見えます。
もちろん、現実政策への転換や他党との合流は、二大政党制を目指すうえで避けて通れませんが、有権者に十分な説明もできない超短期決戦で、果たして適切だったのか。選挙結果、とりわけ都市部での無党派層の支持離れや、柏崎刈羽原発を抱える新潟県の4選挙区すべてを自民党に奪還されたことなどから、見える気がします。
逆に高市自民党は、社会保険料の軽減や子育て・教育支援など、リベラルな再分配の政策も取り込んで、消費減税と共に争点つぶしに成功しました。ネット戦略も含め、高市首相と周辺は直近2回の自民敗北から学び、唐突に見えて、かなり周到な対策を練っていたと思わせる戦いぶりでした。この差が全てだったかもしれません。
いずれにせよ、おそらくこれで4年近く解散総選挙はなく、長期政権になると思います。唯一、波乱要素があるとすれば、巨大与党は人事や処遇の不満、路線対立やスキャンダルなどで分裂の要素がありますが、そこは対立した石破政権からも一部閣僚を引き継いだ高市さん、抜かりなく安全運転を心がけるでしょう。







