死者・行方不明者は1146人

太平洋戦争末期の1945年6月19日夜、200機を超えるアメリカ軍の大型爆撃機B-29が福岡市の中心部に大量の焼夷弾を投下。

攻撃はおよそ2時間にわたって続き、死者・行方不明者は1146人にのぼりました。
あれから80年ー

ビルの建て替えが進み、大きく変わった福岡の街には、今も空襲の爪痕が残されています。

RKB 田中康徳 記者
「こちらの簀子公園のレンガ塀には戦災で焼け焦げたといわれている跡が残っています」

6月14日に開かれた戦争遺跡をめぐるフィールドワーク。

元高校の教員で九州の戦争遺跡を研究している江浜明徳さん(74)が毎年開催しています。

江浜明徳さん(74)
「空襲で被災した福岡城の石垣、石垣の表面が熱ではじけた跡です。福岡連隊の兵舎が焼けた熱で、猛烈な熱で」

戦後生まれの江浜さんが活動を続けてきた原点は、子供の頃に父親から聞いた戦争体験だといいます。

江浜明徳さん(74)
「学徒出陣で多くの学友が南方の方に運ばれた、米軍に飛行機や潜水艦で撃沈されて次々と亡くなっちゃった。だから私らの世代は同窓会がない、俺なんか幸運で生き残った方なんだと」







