「建国記念日」ではなく「建国記念の日」と呼ぶのはなぜか。2月11日のRKBラジオ『田畑竜介GrooooowUp』に出演したRKBの神戸金史解説委員長が、戦前ファシズム期の新聞記事を例に、歴史学の立場からで解説した。
首相と歴史学者のメッセージの落差
2月11日の朝刊は、1面の日付の下あたりに「建国記念の日」と書いてあります。
「『建国記念の日』は、『建国をしのび、国を愛する心を養う』という趣旨の下に、国民一人一人が、我が国の成り立ちをしのび、今日に至るまでの先人の努力に思いをはせ、更なる国の発展を願う国民の祝日です」
これは2月10日、石破首相が官邸のホームページに上げた「内閣総理大臣メッセージ」からの引用です。
一方、歴史学者の団体・日本歴史学協会は、73年前から毎年「『建国記念の日』に関する声明」を出し続けています。
「日本歴史学協会は、1952年1月25日、『紀元節復活に関する意見』を採択して以来、『紀元節』を復活しようとする動きに対し、一貫して反対の意思を表明してきた。(中略)それは、私たちが超国家主義と軍国主義に反対するからであり、『紀元節』がこれらの鼓舞・浸透に多大な役割を果たした戦前・戦中の歴史的体験を風化させてはならないと信じるからである」
「建国記念の日」、戦前は「紀元節」と呼ばれていました。戦前の日本は、西暦で言う「紀元前660年2月11日」に神武天皇が国を開いた、としていました。