西暦2025年は「皇紀2685年」

大阪毎日新聞の縮刷版1942年2月号(神戸の私物)

手元に、大阪毎日新聞(現在の毎日新聞の前身)1942年2月の縮刷版があります。題字の上には、「紀元二千六百二年」と小さく書いてあります。西暦や日本の元号とは違う、「皇紀」という数え方です。紀元前660年に日本ができたとすれば、西暦2025年は皇紀2685年になります。
ただし、紀元前660年とは、縄文時代から弥生時代に変わるころ。日本という国自体はまだ存在していない時代ですね。今の歴史学から見れば、「空想の産物」と言い切ってもよいものです。

この縮刷版は1942年2月ですから、真珠湾奇襲攻撃から2か月という時期です。戦争中の大阪毎日新聞は、紀元節についてどう報道していたか。2月11日の1面題字の上には日の丸が掲げられ、記事にはこんな見出しが付いています。

紀元節の朝刊にはトップに日の丸が

「戦果赫々(かくかく)大東亜戦争下 きょうぞ紀元の佳節 午前9時国民奉祝の時間」(以下、旧仮名遣いは現代文で表記)

日本だけでなく、アジアの大東亜共栄圏内で同時に、東京の天皇に向かって頭を下げるように義務付けられていたことを報じています。

毎日新聞が社説で報じた「紀元節」

1面トップには、社説「紀元節」が。初代・神武天皇が、紀元前660年に国を開いたことを称えています(「八紘一宇」の詔勅を引用)。そして――。

「今次の大東亜戦は、不抜(しっかりしていて動かないこと)を誇る米英の勢力を東亜の天地より払拭して、永久にその禍根を除去する未曾有の壮図であるから、(略)建国の労苦を想うて、勇猛果敢に、しかも周密(すみずみまでゆきわたること)慎重に耐忍努力するところがなければならぬ。佳節を迎えて、(略)挙国一致億兆一心、いよいよ征戦の目的貫徹に精進して、皇猷(天皇の国を治める計画)を紹述(前人を受け継いで、その精神を明らかにすること)し威徳を対揚(君命に応えて、主旨を広く世の中に示しあらわすこと)せんことを誓いたいものである」

難しい言葉ですが、まさに国家主義の時代の新聞ですね。