渋沢栄一ゆかりの場所が北九州市に

残るは1万円・・・

渋沢栄一とゆかりのある場所が北九州市にあります。


北九州市戸畑区の九州工業大学には、1万円札の肖像・渋沢栄一直筆の書が展示されています。


1914年=大正3年に来校し、演説を行ったときに書かれたもので、「言に訥にして、行に敏ならんことを欲す」「口先は下手でも、行動は機敏でありたい」という論語からの一節が引用されています。

若松康志記者「新しい1万円札の顔になる渋沢栄一。近代日本経済の父とも言われていますが、北九州の発展にも深く関わっていたということです」

1890年代、若築建設の前身・若松築港会社は筑豊で採掘した石炭を運び出すための港を北九州市の洞海湾に整備する事業を行っていました。

しかし、世界的な不況で資金が不足し、経営危機に・・・そんな状況を救ったのが、「近代日本の経済の父」と呼ばれる渋沢栄一でした。

わかちく史料館・江副享子館長代理「洞海湾の事業に賛同していただきまして、渋沢氏が株主に加わりまして、相談役になっていただいた。東京での大株主のとりまとめや増資や融資の支援などを行っていただいておりました」

集まった資金で港湾整備事業は継続。

大型の船が入港できるように水深が浅い洞海湾を深くする計画が明治政府に認められ、官営製鉄所の誘致にもつながりました。

わかちく史料館・江副享子館長代理「インバウンドの方々にも新1万円札を目にしていただく機会があると思いますので、渋沢の功績を改めて認識されて、弊社の方でもそこで関わった1社として誇りをもっております」

渋沢史料館によりますと生涯で約500の企業の設立や育成に関わった渋沢栄一。


北九州では若松や門司の港湾事業のほか、現在のJR鹿児島線で初代門司駅を起点とする九州鉄道や門司瓦斯、門司セメントなど11の事業に関わり、北九州市の発展につながりました。