「体験の継承」は、大量の土石流が街を襲った広島市安芸区の矢野地区でも…。学校…、地域…あの日から4年を迎えた被災地です。

広島市安芸区にある矢野小学校です。


6日朝の全校集会では4年前の地域の被害について校長や当時を知る6年生の児童が話をしました。


桐野寿久校長
「矢野小学校の運動場は宮下川から溢れ出した水や泥、流木などが流れ込み海のようになっていました」

6年生の児童が発表
「グラウンドで遊べるようになったときは、本当にうれしかったです」


当時、学校の体育館は避難所に。校舎の1階も浸水し、グラウンドにはしばらくの間地域から撤去された土砂が積まれていました。


矢野地区は大規模な土石流で大きな被害を受けました。


住宅に設置された防犯カメラには、その日の夜、地区を大量の濁流が襲い、多くの車が流されていく様子が映されていました。


当時の記者リポート
「住宅の基礎部分があることは分かるんですがこの上に住宅が立っていたあとは全くわからないような状況」


地区のなかにある梅河団地では、山から流された巨大な岩が住宅などを直撃。当時、5人の住民が犠牲となりました。


団地には6日朝から献花台が設けられました。


記者
「この辺りに巨大な岩や倒壊した家があった。今は更地が目立つ。この団地の山のふもとには去年、新しく砂防ダムが出来ました」


団地に住み続けている神原常雄さんです。当時近くに住んでいた当時18歳の孫、植木将太朗さんが土石流に飲み込まれ犠牲となりました。


神原常雄さん
「残ってるわしらがなんとかそういうことを伝える先頭に立たないとしょうがないんかなという思い」

神原さんは団地で少しでも安心して暮らせるようにと行政への働きかけなどを懸命にしてきました。ただ、地域で二度と犠牲者を出さないためには、それぞれが災害を忘れないことが一番大切だと感じています。

神原常雅さん
「きれいにしたいんだけれどもきれいになってしまってリセットされてしまったら後に伝わらんでしょう」


植木さんの自宅の跡地は、友人らがいつでも訪れて、植木さんのことや災害のことを思い出す場所となっています。


神原さんは、こうしていつでも災害を振り返り、後世に被害を伝えるための石碑や場所が必要だと強く感じています。


「なんとかそれができたらね。でないとやはり死んだ人たちがね無駄死にになってしまうような気がしてね」


「下級生に当時のことを伝えていく」と決意を新たにした6年生の児童たち。



6年生の児童
「いろんな人の協力をしてもらってここまできれいになったんだなと思って感謝したいと思いました」

6年生の児童
「6年生が1年生とか2年生に伝えて1年生とか2年生が次の子に伝えたいなと思ってくれたらいいです」

身近で体験した災害を伝えていく…。

学校で…、地域で…、それぞれの取り組みが続きます。