抽象画が得意な洋画家が、なぜ巨大な江戸時代を描くことになったのか?

1989年、広島城築城400年の記念事業として広島市から依頼を受けた入野さんは、江戸時代の風景や風俗が描かれた「江山一覧図」という絵巻などを元に、自由な発想で壁画を制作しました。

当時、広島市の観光課長として、この壁画制作に奔走した小林正典さんは、描き手を探す際に相談した日本画家の船田玉樹さんから入野さんを紹介された時は、驚いたと言います。

小林正典さん(当時、広島市の観光課長):
「日本画じゃないし、現代アートみたいな作風の人だと思っていたから・・・」

驚いたのは、小林さんだけではありません。制作依頼を受けた入野さんは、当時のRCCインタビューで、こう話していました。

入野忠芳さん:
「何しろこの壁の巨大さにびっくりした。でも(引き受けることを)迷うことはなかった。(画家としての)こんなチャンス、なかなかめぐってくるものじゃない」

その後、拘置所を管轄する法務省に、入野さんの下絵を提出。1つのモチーフを除いた他の部分については無事許可が下り、入野さんが現場に描き始めたのは、1989年5月のことだったと、小林さんは記憶します。

築城400年を祝う記念事業であるため、この年中に完成させることが必須でした。