三浦千穂 さん(2019年1月)
「自分たちで洗浄・消毒まで済ませたが、今はこういった床や壁など断熱材もすべてはいで、骨組みだけの状態にしている」

三浦さんの自宅は、坂町 坂地区の川沿いにありました。土石流が発生したときは家族4人で避難していて無事でしたが、窓ガラスは突き破られ、1階には大量の土砂がなだれ込み、大規模半壊と判定されました。

三浦千穂 さん(2019年1月)
「今まで大事にしていた生活に使っていた物を踏み台にしながら家の中まで入って、状況を確認した。災害の次の日に自宅を見たとき、もうこの家には住むことができないと主人と涙を流しながら話した」

三浦さんの気持ちを前向きに変えたのが、日差しが照りつける中、連日、土砂のかき出しを手伝ってくれた知り合いやボランティアの存在でした。

三浦千穂 さん(2019年1月)
「友人や娘の同級生の親、知らない方までが助けに来ていただいて、少しずつ、もしかしたら住めるんじゃないかなというのが見えてきた」

しかし、自宅に戻るのには時間がかかりました。

自宅の上流200メートルに建設予定の砂防ダムや、周囲の復旧工事が進まないことには、生活を再開できないという気持ちがあったからです。

三浦千穂 さん(2019年6月)
「雨が降るとやっぱり恐怖心もあるし、(砂防ダムの)完成に向けて、少しずつでも本当は早く進めてもらいたい気持ちはあるけど…。ここがもう少し安全な場所になって、だいじょうぶになって戻ってきた方がいいと思っています」

三浦さんの家の近くの砂防ダムは、災害から2年4か月が経ち、完成しました。ただ、自宅の周りの復旧は完了していなかったため、再建の具体的なめどは立てられないでいました。仮設住宅を必要とする人も減り、団地が集約されたこともあり、三浦さん一家は3か所の住宅で暮らしていました。

そして、去年の暮れ…。