原爆で失った家族や友人…。つらい記憶も絵にしていきました。

尾崎稔さん
「思い出したくないぐらいのもんでも、描くものは描かないと。わしは、そう思うとる。ちぃとでも、みんなのためになるんなら、ちょっとの絵でも残しとこうと」

サミットでは、各国の首脳が原爆慰霊碑に献花したり、原爆資料館を視察したりするよう求める声があります。

尾崎さんは、今の平和公園のほど近く、中島新町で幼少期を過ごしました。

これは、戦前の中島新町とそこで暮らす人たちを描いたものです。原爆によって失われた町や日常を知ってほしい…。尾崎さんの思いが込められています。

尾崎さんの絵を見続けてきている資料館の高橋さんは…。

原爆資料館 学芸課 高橋佳代さん
「今は原爆で消えてしまった街に本当に尾崎さんが消えてしまった命を戻してやっているというか、そういう意味で尾崎さんにしか描けない絵なんだなと思いますね」

来月には91歳になる尾崎さん。核兵器を盾にウクライナに侵攻するロシア、核兵器の削減すら進まない現状に危機感を覚えています。そうした中、被爆地でサミット開催を迎えます。

尾崎稔さん
「1つでも2つでもええけぇ、今あるものから、無いようにしていかにゃあ。そういうことを実行していかんと地球はもたん。わしはそう思っている」

核兵器廃絶へ求めるものは、言葉ではなく、行動です。

― 来年5月のG7広島サミットで、政府は、首脳会議場をグランドプリンスホテル広島(広島・南区)に決定しました。

― 広島市内には原爆の記憶がいたるところにあります。そういうところにも各国の首脳含めて思いをはせてほしい。最近では集大成のような絵が多かったという尾崎さんですが、今、手元には描きかけのものも含めて10枚近くあります。まだまだ伝えたいことがたくさんあるということなので、これからも取材を続けていきます。