原爆で失われた「防災情報」を伝える機能
廿日市市が戦後80年事業として招いたのは、ノンフィクション作家の柳田邦男さん(89)です。
被爆30年の1975年に出版した『空白の天気図』は放射線障害に苦しみながらも観測や調査を続けた当時の気象台職員の奮闘を記録した一冊です。

あの日、大野陸軍病院にいた原爆調査班は、雨風が強まったことは感じたものの、台風が直撃するとは思っていませんでした。
朗読「空白の天気図」
「突然『ゴーッ』と汽車が驀進(ばくしん)して来るような轟音が響いて来た」
「机の下にもぐる者、窓際や廊下に走り出した者、暗闇のなかでそれぞれが咄嗟の避難行動をとろうとしたのだが、建物はあっという間に崩壊し、全員山津波の濁流に呑み込まれてしまった」

枕崎台風による死者・行方不明者の半数以上が、九州ではなく広島で確認されています。
広島県内で被害が拡大した要因は、地形や地質だけではありません。原爆によって防災情報を伝える機能が麻痺していたことが挙げられます。
ノンフィクション作家 柳田邦男さん
「地方気象台が出す警報を十分伝えられず、住民に避難を呼びかけても避難する場所がない。荒廃したなか、台風が直撃した」

原爆投下と枕崎台風、立て続けに惨禍に見舞われたヒロシマ。80年がたったいまも、命を守るためにとるべき行動は変わらないといいます。
ノンフィクション作家 柳田邦男さん
「時代が平穏であるほど、遠い昔のように扱われがち。あす起こってもおかしくない話として、生きている限り時代の証言者として若い世代に語ることが大事」