明治以降、広島県内で最も多くの犠牲者を出した自然災害をご存じでしょうか?80年前、原爆投下の直後に西日本を襲った枕崎台風です。
世界遺産・宮島の対岸にある廿日市市大野地区。1945年9月、この地を襲った土石流は、近くにあった大野陸軍病院を直撃しました。

当時、原爆被害の実態を調査するため現地入りしていた京都大学の調査班11人をはじめ、入院中の被爆者など、156人が犠牲となりました。
京都大学 湊長博 総長
「亡き11名の御霊とこの地で亡くなられた多くの方々の霊が、いつまでも安らかならんことをお祈り申しあげます」
枕崎台風は、原爆が投下された直後の1945年9月西日本に接近します。鹿児島県枕崎市に上陸した時の中心気圧は、916ヘクトパスカルという記録的な低さでした。その後、勢力を保ったまま北上し、17日夜、広島に再上陸します。

のちに昭和の3大台風の一つに数えられるほどで、広島県だけで2000人以上が亡くなりました。
大井千世さん。亡くなった京都大学医学部の教授真下俊一さんの孫にあたります。高齢のため参列できなかった母の言葉を代読しました。

枕崎台風で祖父を亡くす 大井千世さん
「優しかった私の父も(犠牲者の)一人で、家族にとって本当に辛く、悲しく、言葉にならない出来事だった。犠牲となられた方々のご冥福を祈りつつ、二度と同じ悲劇を繰り返さないよう平和の尊さを伝えたい」