安仁屋氏がエースナンバーを背負った1962年、沖縄県勢として初めて"自力"で甲子園に出場。時を越えて、安仁屋氏が抱いた思いとは・・・
安仁屋宗八
「興南高校が15年前に優勝して、沖縄の野球全体のレベルが上がってきていると思うんですよ
僕らの時代はね・・・まず球場がなかったんです。学校の校庭で試合しよったんです。高校2年のときに初めてセルラー球場ができて、それが初めてだったんですからね。僕の先輩で、記念大会で(沖縄県勢で)初めて甲子園に出た首里高校の選手は、ピンポン球で外野のクッション練習したらしいですからね。そんな時代ですよ。」

安仁屋宗八
「沖縄の野球のレベルが上がったのは、プロ野球のおかげだと思います。プロ野球チームが沖縄にキャンプ入ってくれるおかげで、あちこちに設備ができたじゃないですか。休みのときはプロ野球観戦もできて。見て覚えるのも勉強ですからね。
それがやっぱり今沖縄の子が強くなった原因じゃないかなと僕は思

































