そんな藤原のバッティングの原点は、高校から13キロ離れた自宅で、小学生のときに父親が自作したネットでした。

藤原 康貴選手
「家でティーがしたいと言って作ってもらいました」
父親
「作る前までは小学校まで打ちに行っていたので、自宅も使って練習できるように」
藤原が野球を始めたのは、小学2年生のとき。野球を習っていた兄の練習に参加したのがきっかけでした。現在はプロも注目するバッターへと成長しましたが、ここまでの道のりは、順風満帆ではありませんでした。
藤原 康貴選手
「小学生の頃に野球肘になって、野球が一番楽しい時期だったんですけど、全国大会に出て、そこからより一層のめり込もうとしていた中での怪我だったので、1年間も野球できないと聞いたときは、どうなるか分からないというか、不安と辛さはありました」

父親
「野球にはずっと行ってはいたので、やることはやってたな?」
藤原 康貴選手
「左投げの練習をしていた。毎週病院に連れて行ってもらって、リハビリ受けたりレントゲン撮ったり、そういったサポートがあったので、親に支えられて、今は野球がて来ていると思います」
父親
「悔いのないように、仲間と一緒に、少しでも長く野球ができるように頑張ってもらいたい」
藤原 康貴選手(3年・捕手)
「指導者やチームメイトにも恵まれて、体格にも恵まれて親にも感謝して、感謝を持ってプレーして広島県の中で一番長い夏にしたい」
近大福山高校野球部。36年ぶりの甲子園へ、藤原康貴の最後の夏が始まります。

【取材後記】
藤原選手は小学5年からキャッチャーを始めて以来、ずっとキャッチャーを続けています。その理由は、守るときに一人だけピッチャーや野手と反対を向いていて、チーム全体を見れることに特別感があるからだそうです。シード校の近大福山は2回戦からの登場で「松永と山陽の勝者」と対戦します。
(RCCスポーツ部テレビ・イマナマ<2025年7月4日放送>)