もう一つの顔は「旅の達人」

原田さんにはもう一つ、別の顔があります。それは「旅の達人」です。「1949年4月、762.4キロ。ここから始まって」。国鉄・JRに乗った距離が37万キロを超え、旅に関する講演の経験もあります。
原田浩さん
「父親が好きだったからね、中学校卒業するときから、一人旅しないかと言って初めて行ったのが長野の善光寺。そこで旅の魅力に圧倒されて、高校1年生の時に初めて北海道に行きました」
北海道での一人旅で最北端の稚内を目指す途中、たまたま音威子府(おといねっぷ)駅に止まったことがきっかけで、この村との交流が始りました。

6年前、このつながりが縁で、村にある「おといねっぷ美術工芸高校」の生徒が広島を訪問するようになりました。
「お父さんの背中が崩れてきた建物の破片だったりで傷だらけになっていると、原田さんの証言を聞いて心に残っている」
このとき、生徒たちは広島の基町高校の生徒とも交流。絵を書くもの同士、意見を交わしました。

おといねっぷ美術工芸高校の生徒
「つらい作業だと思いますけど、どういう気持ちで立候補しようと思った?」
基町高校の生徒
「私たちにしかできないことを、今、基町高校にいる私がやらないといけないと思うようになりました」
原田さんは「向こうの高校生がどう受け止めてくれるのかというのはすごく抵抗があって、最初は抗いもありましたが」と振り返ります。それでも「残すことの意義を考えたら、最もいい被爆体験の継承じゃないかなと思いますね」と話します。