「広島駅は、命の恩人」。元原爆資料館長の原田浩さん(85)は語ります。原爆の閃光や爆風からその身を守ってくれた駅舎は、80年経ったいま、新しい駅ビルへと生まれ変わっています。大きく姿を変えた広島市の玄関口「広島駅」。進化するこの場所への思いを聞きました。

被爆2ヶ月後に撮影された映像に広島駅の姿があります。多くの人が行き交い“復興の息吹”が感じられますが、爆心から約2キロにあった駅舎には、原爆の爪痕は大きく残っています。

あれから80年。広島駅はこの春、新しい駅ビルが完成し、新たな広島の顔に生まれ変わりました。「立派になったね」。そうつぶやいた原田浩さん(85)は、この場所に特別な思い入れがある一人です。

1945年8月6日、原田さんは、現在の東広島市にある親戚の家に疎開するため、広島駅のホームで汽車を待っていました。そして、午前8時15分を迎えました。

原田浩さん
「いきなり閃光を浴びましてね。もちろん何が起こったのか、全く誰も分かりません。ピカっと来たから、とっさに父が私の体を抱きかかえて、おなかの中に入れて、そして体を守ってくれたわけです。爆風の来た後のすごい音、ドンという簡単な物じゃないけれど、ものすごく大きな炸裂した音が来た」