岸田総理は、2021年10月に就任しました。広島県選出で、戦後生まれでは初の総理でした。念願のG7広島サミットを実現させましたが、自民党の裏金事件をきっかけにした「政治とカネ」の問題が直撃し、肝いりの経済対策も政権の浮揚にはつながりませんでした。岸田政権の約3年間を振り返ります。

衆議院 大島理森 議長(当時)
「岸田文雄君を内閣総理大臣に指名することに決まりました」

2021年10月、岸田氏は第100代の総理に就任。県選出では 宮沢喜一 氏以来で、被爆地選出の総理誕生でした。

岸田総理
「被爆地・広島の総理大臣として、核兵器のない世界に向けて全力を尽くしてまいります」

衆議院 大島理森 議長(当時)
「衆議院を解散する」

就任した勢いを駆って、総理は衆議院の解散に打って出ます。就任後、初めてのお国入りでは、街頭に人だかり…

結果は、県内の小選挙区で6区以外は、自公が議席を獲得。全国でも与党が「絶対安定多数」を確保して基盤固めを果たしました。

年が明けて2022年。総理官邸に現れたのは、湯崎知事と広島市の松井市長、広島商工会議所の池田会頭です。1年後に日本で開催される、G7サミット誘致の要望に訪れました。

広島市 松井一実 市長
「広島が平和を象徴する都市なので、この時期に開催するのにふさわしい都市だと」

この時点で、開催には福岡や名古屋も名乗りを上げていました。ただ、総理の腹のうちは決まっていたかのようです。

岸田総理
「日本の国益、さまざまな点を総合的に勘案して、しっかり決定したいと思っている」

衆議院 江田憲司 議員
「笑みがこぼれたので、もう心の中では決めていると思う」

その4か月後…

岸田総理
「来年のG7サミットを広島で開催し、その成功に向けて共に取り組んでいくことを確認した」

アメリカ・バイデン大統領との記者会見で、総理はG7サミットの広島開催を表明しました。

内閣支持率が好調だった6月、総理は参議院選挙に臨みます。しかし、そのさなか、衝撃的な出来事が起こりました。総理の盟友で後ろ盾だった安倍元総理が、銃撃されたのです。

岸田総理
「決して許すことはできないと思っている。最大限の厳しい言葉で非難する」

ところが、その後、安倍元総理の葬儀を「国葬」として執り行うと決めたことが、結果的に国民の賛否を二分することになりました。さらに、事件をきっかけに旧統一教会から自民党の議員が支援などを受けていたことが明るみになり、世論の批判を受け、内閣支持率は急落しました。

岸田総理
「被爆地・広島で開かれるサミットの機会をとらえ、核兵器のない世界に向け、国際的な取り組みを主導する」

2023年が明けると、総理はG7広島サミットに向けてまい進します。

3月にはウクライナを電撃訪問して、ゼレンスキー大統領に面会。韓国との関係改善にも動き、広島サミットでは尹大統領とともに平和公園の韓国人原爆犠牲者慰霊碑を訪れることになりました。そして…

万全の態勢で迎えたG7広島サミット。核保有国を含むG7首脳が平和公園を訪れ、慰霊碑に献花し、原爆資料館で被爆の実相に触れました。

また、ゼレンスキー大統領の電撃参加も実現させました。

岸田総理
「G7として初めての核軍縮に焦点を当てた『広島ビジョン』を発出することができた」

直後の6月には、サミットを成し遂げた総理が解散を模索しますが、マイナンバーカードの相次ぐトラブルや、自民・公明の候補者調整が難航したことなどから見送られました。

この年の原爆の日。総理は耐震化に向け多額の費用が懸案となっていた広島市の被爆建物、旧陸軍被服支廠について言及します。

岸田総理
「当該建物の活用等について方針が定まれば、国の関連事業を通じた支援、こういうものを速やかに行っていきたいと思う」

この発言を契機に、国の重要文化財指定に向けた動きが加速していきました。

しかし、年末、自民党の派閥パーティーをめぐる問題が浮上します。東京地検特捜部が、安倍派と二階派の強制捜査に乗り出しました。

年が明けると、裏金事件をきっかけにした「政治とカネ」の問題がさらに混迷を深めます。総理自ら政治倫理審査会に出席して、安倍派などの幹部の出席を促し、沈静化を図りますが、事実関係は不透明なままで、世論の批判が強まります。

支持率低迷が続く中、衆議院島根1区など3つの選挙区で行われた4月の補欠選挙では、立憲民主党が勝利し、政権は大きな打撃を受けます。

6月には国会で政治資金規正法改正案が可決・成立しますが、パーティー券の公開基準額を「5万円超」に引き下げて公明と合意したことなどを巡り、党内から反発を受け、総理の求心力は低下。

一方、デフレ脱却のため総理肝いりの経済対策だった1人4万円の定額減税も支持率に響かず、政権浮揚にはつながりませんでした。