哲代さんの誕生日会は恒例行事!「仲よしクラブ」の歴史とは…?

石井哲代 さん
「昭和48年に始めたこの会が、こうしてみんな元気で集まれるいうことがうれしいですね」

半世紀続く、週に一度の「仲よしクラブ」。哲代さんが、小学校教員をしていた時に「地域の女性たちが集う場を」と呼びかけました。

石井哲代 さん
「草刈機ができて、草を刈ることがいらんようになった。年寄りがぽけーっとしだしちゃったけぇ、これじゃいけんいうて始めた」

体を動かしたり、おしゃべりしたり…。「仲よしクラブ」は、高齢者にとって無くてはならない場所に。そして、いつしか哲代さんの誕生日会も恒例行事となりました。

♪ハッピバースデー、哲代さん。ハッピーバースデートゥーユー♪

石井哲代 さん
「100なんぼになるんですかいな?」

兼久世利子 さん
「100…4です」

石井哲代 さん
「104!? わおーでございます。じゃ、これ消すんですか? もったいないですね。せーの、ふぅ!」

寺谷文子 さん
「(哲代さんを)お手本にしたいわ。先生はみんな前向き。うらやましい。私らもみんなが明るくなる」

哲代さんは、今でも「先生」と呼ばれていて、大正琴の指導にも熱が入ります。

オハコはこの曲、哲代さんが作曲した「中野ソング」です。地元の魅力が歌い継がれています。

石井哲代 さん
「世界で1つしかないんじゃけぇね、少々下手でもどうでもえぇんです。これが6番まであるんですが、良う作ってあるん。中野のことが。芯が強うて見栄えが良うて、年が寄ってもしわよらん、なーんちゃって。それで最後がえぇんよね、最後6番」

♪年が寄る程 未練が残る
 まめに暮らした 中野の郷を
 そっくりそのまま お盆へのせて
 持って 持って 
 行きたや 行きたや あの世まで♪