1994年に内閣総理大臣に就任し、米軍基地の「代理署名」をめぐって国として沖縄県を訴えるなどした村山富市氏が17日、大分市内の病院で老衰のため亡くなりました。101歳でした。

村山元総理は1993年に日本社会党の委員長に就任し、翌94年に発足した自民・社会・さきがけの3党連立政権で第81代内閣総理大臣に就任しました。

総理大臣としては1995年の戦後50年談話で日本の植民地支配と侵略を認め、反省やお詫びを明記したいわゆる「村山談話」を発表しました。

一方で沖縄との関係では、同年に起きた少女暴行事件をきっかけに高まった反基地感情を背景に当時の大田昌秀知事が米軍基地の強制使用を認める代理署名を拒否したことを受けて、沖縄県を提訴しました。

政界引退後の2004年にはRBCの単独インタビューに応じ、基地問題について次のように語っています。

▼村山富市 元総理
「沖縄の基地の実態というものを見て、皆さんが沖縄は大変だなと思う。だけど(本土へ)帰ってしまうとね、いつの間にか忘れてしまっている。だから沖縄の基地問題というのは今でも沖縄自体の問題であってね、我々には直接関係ないという風な、極端に言うとね、扱いをされてきたんじゃないかと。それがやっぱり誤りだと」

基地問題で沖縄に寄り添いながらも、総理大臣という立場のはざまで揺れ動いた政治家でした。