太平洋戦争末期、尖閣諸島の沖合で米軍の銃撃を受けた疎開船の犠牲者らを悼む慰霊祭が石垣市で行われました。
1945年7月3日、石垣島から台湾に向けて出港した疎開船2隻が米軍機の銃撃を受け、1隻が沈没、もう1隻は魚釣島に漂着しましたが45日間に及ぶ島での生活で餓死する人が出るなど、80人余りが亡くなりました。
3日に行われた慰霊祭には遺族などの関係者30人余りが参列し、遺族会の宮良芳明会長が「慰霊祭は戦争を繰り返さない決意を次世代につなぐことが大きな役目です」と挨拶しました。
慰霊祭のあとには遺族会の高齢化が進むなかで今後の慰霊祭の開催をどうするかが話し合われ、多くの関係者から「風化させてはいけない」などの声が相次ぎ継続していくことが決まりました。