2022年、復帰50年を迎えた沖縄。アメリカの制服軍人が「高等弁務官」としてトップに君臨し権勢をふるったアメリカ施政権下では、今では考えられない事象も起きていました。
有刺鉄線から声が、電気もないはずなのに蛍光灯が点灯。…その原因となった沖縄本島の北部、国頭村(くにがみそん)にかつ​て存在したある施設についてお伝えします。
復帰前の国頭村の奥間。集落と集落の間に広がる水田地帯に、6本の大きな鉄塔が立っていました。
この施設は『VOA』の中継局『Voice of America, Broadcasting Station』。VOAとは中国や旧ソビエト連邦などに向け、プロパガンダ・政治宣伝のラジオ放送を行う組織で施設入り口の看板には合衆国情報庁(US Information Agency)の文字も見えます(現在VOAは合衆国グローバルメディア局=USAGMの監督下)。
国頭村や大宜味村など、現地採用の従業員も多く、およそ120人の沖縄の人々が働いていました。
遠く中国や旧ソ連など大陸に放送を届けるため、その出力はおよそ1,000キロワット。現在でも地方局の出力(AM波)は5~10キロワットが多く、VOAはその約100倍もの出力で電波を発していたわけです。
出力の大きさを物語る証言と映像がRBCに残されていて、隣接する桃原区の住民は「スイカ畑の盗難予防の有刺鉄線を触った人が火傷したと聞いた」と証言しています。
また鉄線をペンチを使いトタンにくっつけると、VOAの中国語放送が聞こえました。鉄線がアンテナとなり、トタンがスピーカーの振動版の役割をはたしていると考えられます。また鉄線とトタンの接触部分からは煙も上がっています。

特に雨が降った日などは水滴が振動版となったのか、VOAを取り囲む鉄製フェンスなど様々な金属製品から『アメリカの声』が聞こえたといいます。
また蛍光灯に鉄線を近づけてみると、うっすら光り出す映像も残されています。


【復帰後のVOA】
日本の法律では、外国の法人が電波を発することは禁じられているため、1972年の沖縄の復帰に伴い、政府はVOAの撤去を望みました。しかしアメリカは存続を希望。最終的に5年間の運営を続けることで表向きは決着しました。
しかしその裏で「機密事項として日本政府は(沖縄返還にあたり)1600万ドルを増額し、VOAの移転費用をアメリカに補償することに同意した」という密約が交わされていました。

当時の価値にして、およそ57億円の移転費を、日本が肩代わり。その一方で職を失う従業員に対する補償は十分ではありませんでした。

退職金もないまま職を失う可能性があった従業員たちは労働組合を結成し、県や政府に陳情を重ねて、ようやく退職金に加え再就職のための職業訓練などを受けることができたといいます。
当時、組合の事務局長として待遇の改善を訴えたVOAの元職員、平良森雄さん(当時コントロールルーム勤務)は当時を振り返りながら、これからの日本はアメリカと対等に交渉し、国民に真実を話してほしいと話していました。

財政面で優遇されたアメリカに対し、声をあげるまでないがしろにされていた従業員たち。
一方で県民の再就職のために尽力し国頭村に骨を埋めたアメリカ人職員もいたそうです。