太平洋戦争末期、特殊部隊に所属し戦死した男性の遺書が大分県中津市の生家に今も保管されています。長さ5メートルに及ぶ手紙には家族や故郷への思いが込められています。

中津市山国町出身で、旧日本陸軍の特殊部隊、「義烈空挺隊」に所属した梶原哲己さん。23歳の若さで亡くなりました。

(弟の千雪さん)「豪快な兄貴だった。私たちを連れて川に魚を捕りに行くのが仕事だったからね」

生家で大切に保管されている長さ5メートルの遺書

8歳年下の弟、千雪さんは哲己さんの遺書を大切に保管しています。長さ5メートルに及ぶ最期の手紙には戦地に向かう決意が記されていました。

(哲己さんの遺書より抜粋)「決戦のさ中に在りて幾度この日を希いしことよ宿願遂に達せり」

哲己さんが所属した「義烈空挺隊」は敵の飛行場に強制着陸し、施設を破壊する特殊部隊です。部隊は昭和20年5月24日、連合軍に占領された沖縄の飛行場を攻撃しました。哲己さんは全国から精鋭を集めた陸軍中野学校二俣分校で特殊な訓練を受けました。

(豊の国宇佐市塾・織田祐輔さん)「敵の占領地に行くということなので帰って来る見込みがない、出撃したらほぼ100%死を覚悟している」

戦争の歴史を研究している豊の国宇佐市塾の関係者は、遺書には長男である哲己さんの家族への思いが丁寧に記されているといいます。