長崎市内の原爆被災碑銘板をたどるコーナー「被爆80年ノーモア銘板が伝える8.9」今回は、現在の長崎西高校の場所にあった県立瓊浦中学校の銘板です。

爆心地から南西におよそ800メートル。長崎市竹の久保町。

現在の長崎西高校の場所に建っていたのが県立瓊浦中学校です。
原爆で、木造だった瓊浦中学校の本館校舎は倒壊。新築校舎も全壊・全焼しました。当時、学校には、教職員や生徒61人がいましたが生き残ったのはわずか数人でした。
被爆者・川上与善さんの証言「防空壕から出てみたらみんなヤケドしていて(やられて)倒れている人もいればそのまま亡くなっている人もいた」
瓊浦中学校の玄関近くで被爆した川上与善さんは、原爆が投下された時、とっさに近くの防空壕に飛び込み命をとりとめました。
被爆者・川上与善さんの証言「『助けてくれ、助けてくれ』とか『水を飲ませて』とか、いろいろみんな言うわけですよ。私が立って動いているからシャツがちぎれて裸になっている人もいて『寒い、寒い』というから私は、2枚着ていたから1枚脱いでから着せた人もいた。戦争がなければみんなまだ元気でおっただろうなと思いながら目頭が熱くなる時もあります」

80年前の原爆で、瓊浦中学校の教職員や生徒あわせて405人が動員先の工場や自宅などで犠牲になったと銘板は伝えています。