吉田勝二さんは被爆当時13歳。
県立長崎工業学校造船科の2年生でした。
あの日、吉田さんは空襲警報が解除されたあと、同級生と一緒に避難先から上野町の学校に戻る途中、爆心地からおよそ800メートルの油木町で被爆しました。

数千度の熱線に焼かれ顔の右半分は皮膚がなくなり10数回に及ぶ移植手術の後も消えることがないケロイドが残りました。そして自分の被爆体験を県内外の子供たちに伝え続けました。

長年、反核・平和を訴えてきた吉田勝二さん。
肺がんを患い闘病生活を続けてきましたが2010年4月長崎市内の病院で家族に見守られながら、78歳で生涯を閉じました。
(1992年撮影)