追いやられた「説明板」

長崎市が、被爆の歴史の継承方法としてあげた「説明板」は、線路の高架工事に伴い移動を繰り返し、現在は幸町のアンダーパスの上に設置されています。

仮設のプレートに貼られた状態で、ほとんど人通りのない場所に設置されており、この場所に捕虜収容所があったことを示す「銘板」があることを知る人はほとんどいません。

スタジアムシティの建設現場で被爆遺構が見つかったことが公になったのは、開業を2か月後に控えた2024年8月でした。