長崎市沖に浮かぶ端島、通称「軍艦島」。その特異な姿から“本物の軍艦”と見間違えられた――という逸話が、戦後たびたび語られてきました。事実、1945年6月11日、アメリカ軍の潜水艦が「軍艦島」に魚雷を発射したとされる記録と、実際の爆発の瞬間をとらえた映像が存在していたのです。脚色ともされてきたこの話の真相に迫ろうと、当時の映像とともに取材を始めました。

逸話と歴史が交差する島、軍艦島

端島・通称軍艦島(長崎県)

長崎市の沖に浮かぶ端島・通称軍艦島。去年放送されたTBS日曜劇場のドラマ「海に眠るダイヤモンド」の舞台にもなり、観光地としての人気は更に高まっています。

軍艦島にはいろんな逸話があります。
・かつて人口密度が世界一だった。
・日本で初めて鉄筋コンクリート製のアパートが作られた。
・まだ一般にテレビが普及していなかった時代、この島ではテレビの普及率がほぼ100パーセントだった。

昭和40年代の軍艦島

さらに、ドラマ「海に眠るダイヤモンド」でも描かれた逸話も。
・端島音頭という歌があった。
・全国から労働者が集まったので正月の餅は地域の風習に応じて「丸餅(西日本)」「角餅(東日本)」が作られ売られていた。
・海底炭鉱の中は気温も湿度も高かった。
・火葬場は隣の中ノ島だった。

今回改めて検証する「魚雷攻撃説」も、その逸話の一つです。
「軍艦に形が似ているので魚雷を撃ち込まれたことがある」
「戦争末期、アメリカの潜水艦が軍艦と間違って島に魚雷を撃ち込んだ」

軍艦島という場所の特殊なキャラクターもあいまって、様々な脚色をつけて、まるで都市伝説のように語り継がれてきました。

軍艦島にまつわる“魚雷伝説”とは?

今回、筆者が注目したのは、30年以上前に放送された他局のドキュメンタリー番組。そこには、潜望鏡越しに見た軍艦島と、炸裂する魚雷の瞬間が記録されていました。

そして米軍の記録には、太平洋戦争末期、長崎近海で行動していたアメリカの潜水艦が軍艦島の近くまでやってきて島に向かって魚雷を発射したこと、魚雷は島に停泊していた石炭運搬船に命中したことが記されていました。

どういう状況でこの映像が撮られたのか?潜水艦の狙いは?映像は入手できないか?「海に眠るダイヤモンド」効果に背中を押され、軍艦島への攻撃を記録した映像と向き合う取材をスタートさせました。

シリーズ「軍艦島と戦争の記憶」。第2回では、逃亡中の潜水艦からとった戦時中の軍艦島の姿を検証します。