窯跡を訪ねて
この日訪れたのはかつて五島焼が作られていた窯跡です。

陶芸作家 武田朋己さん:
「こちらが田ノ江窯で、もともとは60mあった登り窯の跡です」
島にはかつて6つの窯があったと考えられています。その中で、五島焼が作られた当時の様子が伺えるのは2か所だけです。五島焼復活に向けて、窯跡は1つの手がかりになりそうだと感じています。

「板を置いて、焼き物を置いて…こうやって積んでいくものだったんじゃないかなと…。これは釉薬(の跡)なのではないかと思います」
「これが瓦礫になって積まれているだけだったら、どういう位置にあったか、何部屋あったかまでは分かりません。しかし、窯の長さなどが分かっている。それだけ盛んに焼かれていたことが分かると思います」

陶芸作家 武田朋己さん:
「海を挟んだ長崎や佐賀には、有田や波佐見など巨大な焼き物の産地がある、にもかかわらず『この島で窯を作り、ここで焼きたかった』その意味を私自身すごく知りたい。ただ今のところはまだ、何のために作られていたか、どういう流通をしてたかはわかっていません」
「五島焼」復活への挑戦
謎に包まれた「五島焼」復活へー今はまだスタートラインです。武田さんの熱意は友人や島の人々を巻き込み、大きなうねりを生もうとしています。
菓子職人 辻千尋さん(移住者):
「江戸時代に途絶えた歴史を紡ぐーということが、すごく偉大なことじゃないですか。わくわくが強いですね。たまにハラハラもしますけどやっぱりわくわくが強いです」
五島市民:
「島外の五島ではない方が新しく島の魅力を掘り返して、見つけ出してくれるのは非常にありがたいと思います」
陶芸作家 武田朋己さん:
「五島焼を全国に流通させたいですし、五島焼をきっかけに『これが焼かれている場所はどんなところだろう』と興味を持ってもらい、島を訪れる人が増えて欲しい。そういう役割、人を呼んでこられるような役割になれたらいいなと思っています」

五島の人も知らない「五島焼」の復活は、私たちに何を教えてくれるのか?陶芸作家 武田朋己さんの挑戦が動き出しています。