命をかけた抗議 享年40
彼の教え子・田中重光さんはこう語る。
長崎被災協会長 田中重光さん:
「僕は白血病になって入院中に抜け出して亡くなったと聞いた…。死に場所に原爆資料館を選んだのは、原爆への抗議だったのではないかと思う」
「自分の虚しさというかね…。私達もこういう運動をしとって、ロシアのウクライナ侵攻が止め切らないし…」
「死んでいく被爆者を見よ」
それは、詩の中だけの叫びではなかった。彼は、命をかけてこの言葉を遺した。原口の死から60年―。核兵器は消えるどころか、今なお世界を脅かしている。私たちは、何を忘れ、何を学ぶのか。