1968年に発覚した食中毒「カネミ油症」。市販の食用油に混入した化学物質「PCB」による健康被害は、半世紀以上経った現在も世代を超えて続いている。2024年12月、PCBを製造した企業の責任を問う集会が全国5カ所をオンラインでつないでひらかれた。母親となった被害者から、次世代の被害実態を訴える声が相次いだ。
カネミ油症57年目の現実

カネミ油症被害者 下田順子さん:
「1人目の子どもは平成元年、被害発覚から21年後に生まれました。浅黒い赤ちゃんでした。親戚から『順子さんの産んだ子はカネミ油症が原因じゃないの?』と言われました。1カ月もしないうちに皮膚炎の症状が現れました。それからずっと病院通いが続いています」
毒を製造した企業はいま
2024年12月7日、兵庫県高砂市、東京、福岡、長崎市、長崎県五島市の5カ所をオンラインで結んで、8回目となるカネミ油症高砂集会が開かれた。集会名は「世界を健康にする前に、被害者の健康を取り戻せ」。PCBを製造した鐘淵化学工業、現カネカが掲げるフレーズに疑問を呈すものだ。

カネミ油症被害者 曽我部和弘さん:
「『高砂みなとの丘公園』という一見きれーいな公園があるんですが、その隣にPCBの汚泥を盛り立てている場所がある。この事実をもっときちんと知って頂きたいという思いを込めて、きょうパネルを公園内で掲げて、デモンストレーションをしてきました」

兵庫県高砂市。海に面する公園の周辺に、広さ約5ヘクタール、高さ約5メートルのアスファルトで覆われた人工の巨大な丘がある。
これは(株)カネカ高砂工業所と三菱製紙(株)高砂工場の敷地で、昭和40年代後半、高砂西港の底質土砂がPCBで汚染されていることが明らかになった際、これらを浚渫し固化処理後、このような形に造成したものである。(高砂西港盛立地の PCB 汚染土に係る報告書 平成19年9月より)