その年だけで7万4千人もの命を奪った長崎原爆—
投下から、9日で79年となりました。

世界情勢が悪化し、各国の分断が進む中行われた平和祈念式典と8月9日に寄せる人々の思いをまとめました。

被爆79年の8月9日。

79年前を思い返し、79年前を想像します。

入院中の母が被爆・武次俊隆さん(73)
「母親が一人で両親を焼いたと思うと、当時17~18かな、母親。自分やったらできないなとか」
亡き母が被爆・松尾正博さん(71)
「いとこを背負って行って、途中で亡くなった。それをそのまま大橋から矢上まで行って。亡くなった子をずっとおぶって、ずっと道中はどんな心境やったんかなって」
10年ぶりに式典参列、小1のとき西小島で被爆・八木初音さん(85)
「(原爆で亡くしたのは)祖母と、兄と姉と母と妹です。世界の戦争はね、終わってほしいなってことだけですよね。何にも得にならないですもんね」

2年ぶりに平和公園で執り行われた平和祈念式典。
原爆死没者名簿には9日時点で19万8785人の名前が記されています。
被爆者の平均年齢は、ことし85.58歳となり、当時の記憶を直接聞けなくなる時代が日に日に近づいています

(11時2分 黙祷)

長崎平和宣言 鈴木史朗長崎市長(福田須磨子さんの詩)
「原爆を作る人々よ!今こそためらうことなく手の中にある一切を放棄するのだそこに初めて真の平和が生まれ人間は人間として蘇ることが出来るのだ」

鈴木市長は、世界の核軍拡の現状に触れ、核兵器を使ってはならないという規範が失われるかもしれない危機的な状況に直面しているとして、核兵器の廃絶を訴えました。

鈴木長崎市長
「核保有国と核の傘の下にいる国の指導者の皆さん。核兵器が存在するが故に、人類への脅威が一段と高まっている現実を直視し、核兵器廃絶に向け大きく舵を切るべきです。そのためにも被爆地を訪問し、被爆者の痛みと思いを一人の人間として、あなたの良心で受け止めてください」

10歳の時に被爆した、三瀬清一朗さんは、原爆投下後、通っていた国民学校が「死体処理場」に変わった光景について話し、核兵器の恐怖を伝える語り部としての決意を述べました。

平和への誓い 三瀬清一朗さん(89)
「2023年から英語による活動も始めました。平和とは何かを皆さんと一緒に考え、可能な限り続けてまいる所存です。"peace is a world heritage shared by all humankind"(平和は人類共有の世界遺産である)」

今回、100か国の代表が参列しましたが、長崎市が、不測の事態への懸念からガザ攻撃を続けるイスラエルを招待しなかったことに対し、日本を除くG7各国とEUの駐日大使が参列をとりやめる事態となりました。

福岡出身長崎市在住の男性(62)
「何年経っても同じことの繰り返し。なかなか前に進んでないっていうのが現状なんで、もう少し、各国の首脳の方々が考え直す時ではないかなという風に思ってます」
広島の被爆3世・長崎大学准教授(平和教育) 新谷和幸さん(49)
「命ってとっても大事なものじゃないですか。やはり平和が今一番大事にされるべきものなんですが、軽視されてるような気がするので」
被爆2世・出口美晴さん(67)
「母が6月に亡くなって、若い人に次つながんといかんねって思って。母の気持ちをね。普通の日常生活がいかに大事か」
被爆者
「絶対戦争いけない。長崎でなんとか伝えていかないといけないでしょうね」
広島の高校生平和大使
「被爆者が高齢化していく中、僕たちの世代に、今後核なき世界が訪れるかがかかってると思うので、責任感持って活動していきたいと思っています」

長崎を最後の被爆地にするという思いを一層強く感じた、被爆79年の8月9日となりました