橋の上であった男の子「僕を家につれていって…」
吉村さんは、黒い血を吐き、ガラスが刺さったままの身体で3日間、飲まず食わず親戚を探して原子野を歩き続けました。
吉村光子さん:
「2日目くらいですよ。長崎駅前を下って行ったらテントがあった。あらー!テントがある!慌てて走るごとして行ったらおにぎりを1個もらって。その美味しかったこと。のどに詰まりながら『ゆっくり食べなさい』って言われて背中叩かれてね。
『今から親戚を探して回ってみます』『大丈夫ですか?』って聞かれたけど『足腰はどうもないから大丈夫です』って言ってね」

「道は歩かれないので鉄道線路から下って行ったら下はすぐ電車道で。電車は真っ黒。屋根もなんにも残ってない骨だけ残って。中に炭みたいな人間が重なって倒れていて。上から見ただけで…ごめんなさい。お助けできなかったけど ごめんなさいって走り抜けて行ってね」

吉村光子さん:
「やっとこして《大橋》までたどり着いて。橋を渡って向こう側に行ったら石の上に『…僕を家に連れてって…くださーい…』って言う子がおったとですよ。
だから私は『僕はどこの家?僕はなんていう名前?』って聞いたっちゃ『僕を家に連れてって下さい…』って言うのを繰り返すだけで、名前も何も言わんとですよ。『きっと誰かおじさん達が連れに来てくれるから元気でいなさいよ』っていうより他に仕方ない…」
「被爆した兵器工場にたどり着いていったら人のおるじゃないですか!元気な人が!
門を入った途端ひっくり返ったですよ。食べてもおらんし、飲んでもおらんから。おにぎりいっちょもらっただけですからね、3日間。
労務課長のシノダ課長に『よー生きとってくれた、よー生きとってくれたな』って言われて、水筒から水を飲ませてもらってね。
…22にもなっとってから、わんわんやって 泣いたですね。あーこれで助かった…人間って欲たらしいですね。…生きたってことがあんなに嬉しい。
もう涙ボロボロ流しながらね。安心と…なんとかんとで…こんな丸い水筒の水…あの感激だけは一生忘れません」