被爆地長崎から核兵器の非人道性を訴えるシリーズ「NO MORE」。
今回は御年100才の女性です。22才で被爆し、極限状態を生き抜いてきた吉村光子さんの貴重な証言です。(第1回 / 全3回)
両親の死、原爆、死産、看病…壮絶な経験を乗り越え100才
被爆体験を語っていい──そう言われている100才の女性がいると連絡を受けたのは2023年11月でした。
お電話すると品の良い、はっきりした声なにより人生の節目の様々を日時まで覚えている驚異の記憶力。
長崎県時津町のご自宅を訪ねてみると小柄な女性が1人。補聴器も 老眼鏡も 杖もなしで、たくさんの本に囲まれて力強く暮らしていました。

長崎県時津町に一人暮らし。吉村光子さん、100才です。
朝は6時頃に起きて神棚に参り、朝食は自分で作って、午前9時頃、毎日1時間だけヘルパーさんに来てもらいながら、自分のことは自分でやる生活を続けています。

ヘルパー 高田美恵子さん:
「しっかりしとらすとよ。普通の人より 頭しっかりしとらすけんね」

夫を亡くして17年。家には独りになってから買い集めたという本がたくさん並んでいます。

吉村光子さん:「本は毎日だいたい(深夜)1時位まで読みますよ、9時から。(新聞も毎日?)そうです。能登半島地震は涙が出ましたね。海自の飛行機事故も…思いもかけないお正月早々、色々な事故があったでしょ」