白血病により2歳で亡くなった次女

吉野さんが骨髄バンクの移植コーディネーターとなったきっかけ…

それは、白血病により2歳で亡くなった次女の里莉花ちゃんです。

(吉野智子さん)
「今年で20年になるから、ずっと私が活動できてるのも里莉花のお陰かな」

骨髄バンクの担当医の上村幸代医師は、里莉花ちゃんの最初の検査を担当した医師でもあります。

(吉野智子さん)
「里莉花の検査してくれたのが、上村先生で」
(宮崎大学医学部附属病院 小児科 上村幸代医師)
「そうだわ、骨髄検査もしたわ」

県内の小児がん患者は、宮崎大学医学部附属病院で、治療を受けるため、上村医師とは、今も活動を共にしています。

(吉野智子さん)
「2007年」
(宮崎大学医学部附属病院 小児科 上村幸代医師)
「そのくらいかもしれないですね。すごい、そっから吉野さんずっと活動だもの」(吉野智子さん)
「いや、あっという間ですよね」