辛く悲しい日々

貴弘の死は決して一人だけの人生ではなく、周りの多くの人の人生をも変えてしまいました。私は母親として自分の命に代えてでも守ってあげたいと思っていたのにそれを果たすことができず、無力な自分自身をずっと責め続けました。どうして何の罪もない子供の命が奪われるのかとあまりの理不尽さに、もうこの世には神も仏も無いんだと思わずにはいられませんでした。

宮地美貴子さんの話を聞く中学生

わが子の死というのは自分の死と同じです。それ以上かもしれません。自分の過去現在未来のすべてが奪われてしまいます。貴弘がいなくなってからというもの、どこにいても何をしていても思い出されてしまいます。もうこの世にはいないし、死んでしまったんだという現実をなかなか受け入れることはできませんでした。そしていつかまたひょっこりと目の前に現れるのではないか、「ただいま」って家に帰ってくるのではないかとそう思う時もありました。いつでもどこにいても思い出されてしまい、その度に涙が溢れました。でも、どれだけ泣いても叫んでも貴弘が戻ってくることはありませんでした。

宮地美貴子さん

子供部屋もそのままの状態で、勉強道具、洋服やおもちゃ、歯ブラシに至るまで、何一つ貴弘のものを片付けることはできませんでした。それから買い物に行っても好きなものを見ると、もう食べさせてあげられないと思うと悲しくていられませんでした。それから一緒に遊んだ公園や思い出のある場所へ行っても、その楽しかった時のことがよみがえり、もうその場にいられずすぐ帰ってきてしまうということが何度もありました。今思えばその当時は、ただ普通に当たり前の生活をするということが本当に辛くて、自分の心に重い蓋をしない限り、とても生きていく自信はありませんでした。