(二反田登志子さん・69)「つくった学校がなくなるのは父たちの世代は寂しかったと思う」
二反田実さんの六男・薫さんと妻・登志子さんです。分校の近くで40年ほど酪農を営んで、夫の薫さんが4年前に亡くなって以降も牛を育てています。
学校がなくなり地域から子どもたちの声が聞こえなくなった平成、令和と時代の変化を見つめてきました。

(二反田登志子さん・69)「(昭和は)いい時代でもあったし、感動できたような気がする。(分校は)絆じゃないですけど確かめるための存在でもあったのでは」

県内の小学校はベビーブーム世代が入学した1954年(昭和29年)にピークに達し、その後、ゆるやかに減少。今年度は477校とピーク時の7割ほどになりました。
子どもが多いイメージの昭和になぜ閉校する学校があったのか?集団就職で鹿児島を離れた人たちがそのまま都会で暮らすなど、一定数の若者が減少したことが要因の一つとも言われています。
