「ちゃんと大人になれるのかな?」不安だらけの過去
専門家はこう解説します。
(発達性ディスレクシア研究会・宇野彰理事長)
「僕らはまとまりとして読むが、(ディスレクシアの子は)1文字を音に変換するのも、まとまった文字列を音に変換するのも遅い。意味を考える余裕なく、文字を音に変換することにエネルギーを割く」

自分が「ディスレクシア」だと、大人になって気づいた人も多くいます。
南雲明彦さん(当時36歳)。
(南雲明彦さん)
「画数が増えれば増えるほど、漢字としてのイメージがよくわからなくなる」

周りとの違いを感じ始めたのは、晃平くんと同じく小学校に入ってから。誰にも相談できなかったと言います。
(南雲明彦さん)
「読み書きはずっとついてくる。不安の方が強くなった。この先、僕どうなっちゃうんだろう?ちゃんと大人になれるのかな?」

不安から不眠に悩まされ、高校2年生の時に不登校に。うつと診断され、自ら命を絶とうとしたこともありました。
(南雲明彦さん)
「ふがいない。なんでこんな状況になってしまったんだと自分の意志の弱さを責めた。なんとかしなきゃと焦りが強かった。絶望していたのが10代後半だった」

南雲さんが「自分はディスレクシアだ」と知ったのは、21歳の時。学校だけでなく仕事でも困難がつきまとったといいます。
(南雲明彦さん)
「最初の研修でメモをとっていない人は、悪い意味で目をつけられる。やる気は本当にあるんですって話をしても、じゃあメモとれよと言われて…」
職場では「なぜこんな作業ができないんだ」と言われ、落ち込む日々。何度も仕事を変えました。
今は自分の経験を子どもたちに生かしてもらおうと「不登校」や「ディスレクシア」についての講演活動や、本を出版することで生計を立てています。

(南雲明彦さん)
「不自由な部分があるけれど、色んな発見も沢山ある。もとから持っているもので後天的なものでもないが、だったらこの自分で一緒に生きていく。だって、自分の一部ですから」