手塚治虫さんから直接電話が…

懐かしい「鉄腕アトム」の主題歌も担当しました。

(谷川さん)
「よく覚えてないんだけど手塚さんから直接電話をもらった記憶があるんですね。で、困っちゃうと『ラララ』でごまかしたりして、っていう風に言うんだけど、それは嘘で、実際にはラララっていうのは結構ウケてるから」
(記者)
「ラララって共感できますよね」
(谷川さん)
「みたいですね。“歌”ってそういうもんなんですよね」

「『生活費を稼ごう』が詩を作る動機でした」

谷川さんは1931年、昭和6年に生まれました。高校時代に友人の影響で詩を書き始め、20歳のときに初めての詩集「20億光年の孤独」を出版します。哲学者の父、谷川徹三が、知り合いの詩人、三好達治に息子の創作ノートを見せたことがきっかけでした。

(谷川さん)
「自分としては『いい詩を書こう』ではなく、『生活費を稼ごう』、『お金を稼ごう』というのが(詩を作る)動機でしたね」

この詩集が評価され、大学に進まなかった谷川さんを心配していた母親も一安心。詩集、合唱曲の作詞、絵本などにも活躍の場を広げ、やがて日本を代表する詩人になっていきました。