北朝鮮に拉致された可能性を排除できない特定失踪者 大澤孝司さんの行方が分からなくなってからまもなく50年です。大学時代の同級生が兄 昭一さんのもとに集まり一刻も早い拉致問題の解決を訴えました。
【大澤孝司さんと再会を果たす会 宮崎直樹 副会長】「我々は終わったら麻雀したりね、騒いでたりしたことも多いんだけど、孝司くんは真面目に研究に取り組んでいた」
大澤孝司さんの兄 昭一さんの自宅に集まったのは県外に住んでいる孝司さんの大学時代の同級生です。孝司さんとの思い出を振り返りながら拉致問題の解決を訴えました。

【山口県から福本憲史さん(76)】「学校で会って話するけど、優しい人だな、良い人だなってことでずっと学校4年間過ごして…」

【北海道から先山和彦さん(77)】「大澤君は優しい印象を受けた人でした。人道上の問題だということで、どこの大臣が良いんだか分からないですけど、どんどん北朝鮮に向けて発信していく態度を見せてもらいたいと」

同級生が口をそろえて話すのは”真面目で優しい”というかつての記憶です。大澤孝司さんは1974年2月、県職員として赴任していた佐渡市の旧新穂村で行方不明になりました。

北朝鮮による拉致が疑われていますが、政府が認定する「拉致被害者」には含まれておらず、行方が分からなくなってからまもなく50年が経とうとしています。

孝司さんがちゃんと生活できているのか気に留めて涙を流す同級生も…
【神奈川から来た福島和好さん(77)】「きちんと生活をしてくれてればいいと、もちろん帰ってきてほしいのは当たり前だけど、そういう思いはずっとありますよね。変な生活をしてほしくないと思っています」

【大澤昭一さん(87)】「弟のことを考えて電話で『弟はこんなんだったな』と、友達同士話していたと聞いて大変うれしく感じました。一刻も早く弟と会いたいっていうのが私の最大の願いです」

大澤さんらは今後も署名活動などを通じて問題の解決を訴え続けます。