ニュースで知った順子さんの死 柴又三丁目女子大生殺人 放火事件

かおりさんは、朝のテレビのニュースを見て体が震えた。よく知る人の名前が聞こえてきて、画面に順子さんの顔写真が映っていたからだ。

1996年9月9日。順子さんは、東京都葛飾区柴又の自宅で殺害され、自宅は放火された。警察によると、順子さんは2階で見つかった。口や両手足を粘着テープやストッキングで縛られていて、首には刺し傷があり、やけども負っていた。布団に寝かされ、上からは掛け布団が掛けられていたという。

順子さんは大学4年生で21歳だった。「世界で通用するジャーナリスト」を志し、9月11日にアメリカ留学へ旅立つはずだった。その2日前の事件だった。

亮太さんは、事件をニュースで知り、通夜に参列した。通夜の席でも「本当に?」という気持ちで理解できなかったという。私も他の同級生も、大きなショックを受け、事件を信じることができなかった。

事件後、警視庁の刑事が私の自宅を訪ねてきた。順子さんの自宅の焼け跡から、私が送った手紙が見つかり、話を聞きに来たと説明した。「この手紙はどういう感情で書いたのか」と尋ねられたことを覚えている。警察の執念に驚くと同時に、捜査が行き詰まっているのではという不安も感じた。

警察は、同級生の自宅も訪れていた。ともこさんは、自分が送った手紙を刑事に見せられた。焼け焦げたその手紙を見て、事件を実感し、改めて大きなショックを受けたという。亮太さんも両親同席のもと話を聞かれた。聴取を終え自宅を出た刑事は、その後電話をかけてきて「恋愛感情はなかったか?」と確認したそうだ。
あらゆる可能性を視野に入れ、地を這うような捜査を続けてきたに違いない。ただ、容疑者は特定されないまま、時間だけが過ぎた。

私は2003年に新潟放送に入社し、警察担当の記者になった。様々な事件を取材する中で、”時効”という言葉を聞くたびに、順子さんの事件を思い出した。
当時の殺人事件の公訴時効は15年。順子さんの事件の時効は2011年に迫っていた。