国は疲弊していた農村経済の立て直しや土地不足の解消などを目的に移民政策を本格化し、“国策”としておよそ27万人を満州へと送り出しました。

和装小物の卸販売をしていた巻口さんの父・栄一さんもそのうちの一人で、巻口さんは1942年に家族7人で海を越えました。
巻口さんは当時、7歳でした。

「当時の日本の教育の影響もあったかもしれない。大きくなったら何になるんだ、兵隊さんになるんだとかね。飛行機乗りになるとか、子どもなりに“夢は日本の国を守る”という精神で」
豊かな暮らしを求め、希望を胸に『満州柏崎村』を造ることを目指した開拓団。
しかし、国策に託した夢はわずか3年で打ち砕かれます。

1945年8月上旬、巻口さんの父親を含む開拓団の男性に軍の召集命令が下されました。その数日後の8月9日には旧ソ連軍が満州に侵攻。残された女性と高齢者、そして巻口さんら子どもたちの逃避行が始まりました。