終戦を境に状況は大きく変わりました。
須田さんたちの開拓団が、日本の敗戦を知ったのは終戦2日後の8月17日。開拓団は、侵攻してくる旧ソ連軍や日本の敗戦を知り、暴動を起こした中国人の襲撃を逃れようと、夜通しで最寄りの関東軍へ助けを求めに向かったそうです。

【須田一彦さん】
「土砂ぶりのバケツひっくり帰したような雨が降ってきて、もうその逃避行の集団は、にっちもさっちもいかない状態。先を走っていた伝令から、我々が行こうとする明城(ミョウジョウ)にもう日本の兵隊さんはいない。我々が行ったって、助けてもらえるという望みはなくなったんですね。そこで私達の開拓団の団長が決意をします。全員の集団自決です」

開拓団員の中から反対があり、この時、集団自決は思いとどまりました。行く当てもないため仕方なく元々住んでいた場所に戻りましたが、中国人による襲撃や略奪が続きました。

【須田一彦さん】
「ある朝なんかはとうとう私も捕まってしまって、鎌を振り上げられて、その鎌が朝日にピカピカ光っていて、はあ、ここで死ぬのか」