ケニアで気づいた「楽しんで走る」こと

酒井は昨年12月に3週間弱、小出コーチとともにケニア・イテンに滞在。1月に10kmロード世界最高記録(28分46秒)で走ったアグネス・ジェベト・ゲディチ(23、ケニア)の在籍するチームでトレーニングを行った。

「毎日すごくキツくて、ジョグですら最初はついて行けませんでした。ジョグに関しては日本にいるときから大切にしたいと考えていましたが、考えすぎていた部分もありました。ケニアでは選手が楽しく走っていました。自分にとって学びになったし、自分を苦しめるのでなく、楽しく思い切って走ってもいいんじゃないかと思いました」。

考えすぎていた部分は正確にはわからないが、練習の流れや自身の状態によって走り方が変わってくるのがジョグである。正しいジョグの仕方をしないといけない、と自身に難しいテーマを課していたのではないだろうか。

目標もかなり高く設定するタイプである。自己記録が出ても喜ばないと言い、その理由を「成長過程の選手は、自己新が出て当たり前だから」と明かした。冷静な見方ではあるが、自身に息苦しさを押しつけることにもなりかねない。

小出コーチは「高いものを求めすぎてしまうので、楽しんでいこうと言ってきた」という。「結果が悪いと思い詰めたり、結果を求めて行き急いだりしてきました。今回のハーフも5000m、10000mにつなげないといけない、と考えるのでなく、スタミナが少しでもつけば練習量を確保しやすくなる程度に考えています」。
だから今大会では明確に目標を設定しないし、酒井本人が話したように「楽しんで走る」ことを優先する。

クロカンを好きな種目とすることのメリットも

堅く考えすぎることもあるが、酒井には普通の選手にはない発想や行動力がある。12月のケニア合宿は小出コーチが帯同したが、エチオピアに単身で渡航してトレーニングを積んだこともあった。同じ東アフリカの国でもエチオピアは、英語圏でヨーロッパの影響が大きいケニアより独自色の強い国で、日本人には苦労する要素が多い。

種目に関しても独特の感性を持っている。「一番やりたい種目はクロスカントリーなんです」と、現在、オリンピックでも世界陸上でも実施されていない種目を挙げた。

ちなみに一番良い走りだったと思っているレースにも、「高校3年(21年3月)の日本選手権クロスカントリー」を挙げた。トラックでは良い走りができた記憶がなく、先に紹介した駅伝も「チームのおかげ」と思ったり、「途中で少しあきらめていた」ことがあったりして、会心の走りとは感じなかった。

21年の日本選手権クロカンは東京五輪代表となる萩谷楓(当時エディオン。23年に引退)が優勝したが、昨年の世界陸上5000m8位入賞者の田中希実(24、New Balance)を、高校3年生だった酒井が破って2位に入った。田中は4位で明らかに不調だったが、酒井は何人もの、実業団と学生の強豪選手たちに勝っている。

酒井自身は「ただ、走っていて楽しいんです」と理由を話したが、「世界クロカンに出たい気持ちは、本人はあると思う」と小出コーチは言う。オリンピックと世界陸上の代表をガツガツ狙うのでなく、2つの世界大会で行われていない種目での活躍に憧れる。そういった選手はほとんどいない。

その一方で、現実的な種目選択も考えていないわけではない。
「オリンピックや世界陸上を目標とするなら、マラソンを目指したいと思っています。マラソンをするにしてもスピードが大事なので、トラックで通用するようにならないと、マラソンでも通用しない」。

ハーフマラソン出場が今後マラソンに取り組むとき、なんらかの参考材料になる可能性はある。それは理解していると、上記コメントから推測できる。だが、この記録でこう走れば自身の今後にこう役に立つ、とは現時点では考えない。今の酒井には、ハーフマラソンなら目標を決めずに楽しんで走ることが、ベストの走り方なのだろう。

レースの主導権を握っているのがそんな選手だとわかれば、我々はレース中も、そして酒井の今後も、興味深く見守って行くことができる。

(TEXT by 寺田辰朗 /フリーライター)