「羽生結弦として羽生結弦が大好きなフィギュアスケートを大切にしながら極めていけたら」

--王者として守るのではなく、挑戦する。改めて羽生選手にとって挑戦とは何なのでしょうか?

挑戦ですね…きっと別に僕だけが特別だとは思っていなくて。王者だったからとかではなくて。皆生活の中でなにかしら挑戦しているのだと思います。それが大きいことだったり、目に見えることだったり、報道されることだったり。それだけの違いだと僕は思っていて、それが生きるということだと僕は思いますし。守ることだって挑戦なんだと思うんですよね。だって守ることって難しいなと思いますし。大変なんですよ、守るって。家族を守ることだって大変だと思いますし、何かしらの犠牲だったり時間が必要だったりしますし。だから何一つ挑戦じゃないことなんて存在していないんじゃないかなと。それが僕にとって4Aだったり、このオリンピックというものに繋がっていたり。ただそれだけだったかなと。だから僕も挑戦をすごく大事にしてここまで来ましたけど、皆さんもちょっとでいいから、「自分挑戦していたんだな」とか、「羽生結弦はこんなに褒めてもらえているけど、実は褒められることなのかな」って、自分のことを認められるきっかけになっていたら嬉しいなって僕は思います。

--挑戦したオリンピックの演技、冷静に振り返って満足度はどのくらいなのか。4回転アクセルはできたとのことですが、これから何をモチベーションにするか、モチベーションを見つけていきたいという思いはあるか。この2つを聞かせてください。

冷静に考えて自分の演技はどうだったかということを。まずショートプログラムから。ショートははっきり言って、すごく満足しています。ショートプログラムって、最初のジャンプでミスをしてしまったり、何かしらトラブルがあったりとか、氷に嫌われてしまうことというか、ガコってなったり、小さい転倒じゃなかったり。ミスにつながらなかったとしても、ガコっとなることはたまにあることではあるんですね。でもその中でも、その後ちゃんと崩れずに、世界観を大切にして自分が表現したいことプラス、良いジャンプを跳べたということは、そういう点ではすごく満足しているショートでした。

そして、フリープログラムは、もちろんサルコウジャンプでミスしてしまったのは悔しいですし、アクセルもできれば降りたかったとは正直思いますけど。でも何か…上杉謙信というか、自分が目指していた「天と地と」という物語というか、自分の生きざまというか。それにふさわしい演技だったのではないかと思うんです。冷静に考えたとしても。得点は伸びないですけどね。どうやったってシリアスエラーというものが存在していて、そのルールに則るとやっぱりPCSは出ないので。どんなに表現が上手くても、どんなに世界観を表現したいと思っても、それが達成できたと自分の中で思っても、上がらないのは分かっているので。冷静に考えたら悔しいことではあるかもしれないんですけど、僕は、あのフリープログラムも、プログラムとして満足しています。

モチベーションについてなんですけど…うーん、そうですね。正直な話、今まで4Aを跳びたいってずっと言ってきて、目指していた理由は、僕の心の中にいる、9歳の自分がいて。あいつが跳べってずっと言っていたんですよ。ずっと「お前へたくそだな」って言われながら練習していて。でも今回のアクセルは、なんか褒めてもらえたんですよね。一緒に跳んだというか、ほとんど気づかないと思うんですけど、実は同じフォームなんですよ。9歳の時と。ちょっと大きくなっただけで。だから一緒に跳んだんですよね。それが自分らしいなと思ったし、何より4Aをずっと探していくときに、最終的に技術的にたどり着いたのが、あの時のアクセルだったんですね。ずっと壁を上りたいと思っていたんですけれど、いろんな方々に手を差し伸べてもらって、いろんなきっかけを作ってもらって、上ってこれたと思っているんです。最後に壁の上で手を伸ばしていたのは9歳の俺自身だったなって思って。最後にそいつと、そいつの手を取って、一緒に上ったなっていう感触があって。そういう意味では、羽生結弦のアクセルとしてはこれだったんだって。納得できている。だから、それがモチベーションアップとしてこれからどうなるのかは分からないですけれど、まだ4日しかたっていないので分からないですけど。でも、正直今の気持ちとしては、あれがアンダーだっとしても転倒だったとしても、うん。やっぱりいつか見返したときに、「羽生結弦のアクセルって軸が細くて高くて、やっぱりきれいだね」って思える、誇れるアクセルだったなと思っています。

--中国のファンに何か一言、北京のオリンピックは最後のオリンピックですか?

このオリンピックが最後かと聞かれたら、ちょっと分からないです。えへへ。やっぱりオリンピックをやってみて、オリンピックって特別だなって思いましたし。何より、ケガしていても立ち上がって挑戦するべき舞台ということもあって、フィギュアスケーターとしてそんなところは他には無いので、すごく幸せな気持ちになっていたので、また滑ってみたいなという気持ちはもちろんあります。あとはそうやって2万件のメッセージをいただいたりとか、手紙をいただいたりとか、また、今回はボランティアさんもすごく歓迎してくださったりとか、もちろん中国のファンの方々も含めてすごく歓迎してくださっているのをすごく感じていて。そういうなかで演技をするのって本当に幸せだなって思いながら今回滑りました。本当にそんなスケーターなかなかいないよなって思いますし、羽生結弦で良かったなって思いました。

--このオリンピックのあと、これからの目標は?

4回転半を降りたいなっていう気持ちはもちろん少なからずあって、それと共に自分のプログラムを完成させたいなっていう気持ちはあります。ただ、先ほども言ったように自分のアクセルが完成しちゃったんじゃないかなって思っている自分もいるので、これから先、フィギュアスケートをやっていくとして、どういう演技を目指したいかとか、どういう風にみなさんに見ていただきたいかとかいろんなことを今考えています。まだ次のオリンピックとかどこでやるのかなとかまだちゃんと自分の中でも把握できていない自分がいますし、正直、混乱しているんですけど。でも、これからも羽生結弦として羽生結弦が大好きなフィギュアスケートを大切にしながら極めていけたらいいなって思っています。

--オリンピック前に羽生選手は2連覇を持っていて、それを失うのが怖いと仰っていました。ただ、今日、ちょうど8年前、ソチで金メダルを取られて、8年五輪王者を背負われていたと思うんですけど、それを失ったいま率直にどんな感情が湧いているのか教えてください。

これは泣かせにくるやつですかね。(微笑む)いやでも、とても重かったし、とても重かったからこそ、自分が目指しているフィギュアスケートというものと、自分が目指している4Aというものを常に探求できたなと思っています。まずソチオリンピックで優勝していなかったら、やっぱり報道の数も違ったと思いますし、そこに羽生結弦というスケーターがいるんだって。パリの散歩道とか、ロミオとジュリエットとかそういう演技を見ていただいて、こんなスケーターいるんだって注目していただけるきっかけにもなったし。それから応援してくださる方もたくさんいたと思います。そして平昌オリンピックで「SEIMEI」とバラード第1番をやって、それでまた「やっぱ羽生上手いじゃん」とか「羽生選手これからも応援したいな」と思ってくださる方もたくさんいらっしゃって、だからこそ今があるんだと思っています。だから、もちろん3連覇っていうことは消えてしまったし、その重圧からは解放されたかもしれないんですけど。でも、ソチオリンピックが終わったときに言っていたことと同じで、僕はやっぱりオリンピック王者だし、2連覇した人間だし、それは誇りをもって。これからもフィギュアスケートで2連覇した人間として胸を張って後ろ指をさされないように、自分自身が、明日の自分が今日を見た時に胸を張っていられるように、これからも過ごしていきたいなって思っています。

■羽生 結弦(はにゅう・ゆづる)
1994年12月7日生まれ、27歳。宮城出身。172センチ。14年ソチ、18年平昌五輪2連覇で国民栄誉賞を受賞。16年に世界初の4回転ループ成功。今大会4回転半に挑戦、転倒もISUの公認大会で世界初の「認定」。