<以下、質疑応答>
「満足した4回転半だった」
--今日演技を終えて初めてリンクで練習をされたと思うんですが、その時に笑顔も見られました。リンクから離れていた数日間の気持ちの変化は?
もちろんいろんなことを考えました。自分が4回転半というものに挑んだこと、成功させきれなかったっていうこと、今まで頑張ってきたこと、道のりだとか、そしてその道のりの価値とか、結果としての価値とかいろんなことを考えました。けど、やっぱり足首がちょっと痛いこともあって、きょうも練習であんまりジャンプやっちゃいけないって思ってはいたんですけど。痛み止めも飲んではいるんですけど、かなり強いものを許容量以上に。それでもやっぱりここで滑りたいなと思って今日滑らせていただきました。そしてこの3日間、オリンピックのことについてももちろんですし、今までのことを考えていた中で僕は本当にいろんな人に支えられているんだなということ。足首に関しても今回この3日間ですごくたくさんケアしてくださったりとか、本当にまだ歩くのでさえもちょっと痛いんですけど、それでも最大限治療して下さったりとか。本当にサポートして下さったり、食事の面でも栄養の面でもケアしていただいたり本当にたくさん支えていただいているので、それにもっと感謝したいなって思わされた3日間だったと思っています。--フリーの演技のあと、観客席に向かっていつもより少し長くお辞儀をされて、その後、氷に触れてリンクに何か伝えるような仕草をされたように見えたんですが、あの時、羽生選手はどんな思いがあったんですか?
関係者の方々も含めて足を運んで下さった方があそこにいらっしゃって、自分の演技自体が結果として勝敗として良かったかどうかって言われたらベストなものではなかったので、それでもすごく残念だったなっていう雰囲気に包まれなかったというか、すごく大きな拍手をいただいて。それにやっぱり感謝したいなって思ったのと、実際に目に見えてはいないんですけど、きっとこのカメラの向こうにたくさんの方々が応援してくださって、地元の方も含めて被災地の方も含めて、日本だけじゃなくていろんな国々から見て下さっている方もオリンピックならではだし、そういった方々にも感謝を込めたいなと思いました。
もちろんいつも氷に挨拶するんですけど、このメインリンクで競技をするのは最後だなと思って。先ほども言ったように、少し苦しかった部分もあったんですけど、でもやっぱりこの氷好きだなと思って感謝していました。
--フリーのあと最後に聞いたんですけど、4回転半への挑戦をされるかどうか、いかがでしょうか?
どうなんでしょうかね。まだ自分の中でまとまってはないです。ただ、あの時もそうだったんですけど、いま言えることとして、今回これを言うことが正しいのかどうかは分からないですし、言い訳くさくなってそれでいろいろ言われるのも嫌だなっていう。平昌の時もそうだったんですけど、何か言ったら絶対嫌われるっていうか、何かしら言われるんだろうなっていう怖い気持ちももちろんあるんですけど、でも事実なので。
前日の練習で足を痛めて4回転半で思いっきり、自分の中でも一番にしめて、片足で降りて、その時に捻挫しました。その捻挫の程度も思ったより酷くて、本来だったら、普通の試合だったら完全に棄権していたと思いますし、今も安静にしていないといけない期間で、ドクターからは「10日は絶対安静にしてね」と言われているんですけど。当日の朝の公式練習であまりにも痛かったので、どうしようかなって思ったんですけど、そのあと、6分間練習の直前、10分前ぐらいに注射を打ってもらって、出場することを決めました。でも、その注射だったり、その注射の痛みを消してもらえる感覚であったり、また自分自身がケガをしていて追い込まれていて、ショートも悔しくて、色んな思いが渦巻いた結果としてアドレナリンがすごく出て、自分の中でも最高のアクセルができたと思っています。なので、きっとジャンプにはいろんな技術があって、僕は4回転半というものを習得するにあたって、いろんな技術を研究して学んで自分のアクセルに繋げようと思ったんですけど、やっぱり自分自身のジャンプは「負けたくない」というか、あのジャンプだからこそ綺麗だって言ってもらえるし、僕はあのジャンプしかできないし。だから絶対に思い切り跳んで、思いっきり高いアクセルで、思いっきり早くしめてっていうことを追求しました。その結果としてジャンプとしての最高点にはたどり着けたと思っていますし、回転の判定もいろいろありますけど、僕の中ではある意味納得しています。満足した4回転半だったと思っています。
--4日経って今日滑ろうと思った理由と、実際リンクに立って滑ってみて抱いた感情を教えてください
正直、本当は滑っちゃいけない期間だったんですけど、どうしても滑りたいなと思って滑らせていただきました。これからちょっと練習すると思います。うーん、そうですね…スケートのことを嫌いになることはたくさんありますし、フィギュアスケートってなんだろうってよく思いますし。僕自身が目指しているものがフィギュアスケートなのかっていうこととか、いろんなことを考えます。ただ今日滑って、今まで習ってきたこととか小さい頃にやっていたこととか、スケーティングに関していろいろやってみて、上手くなったなって思ったり。それがすごく楽しかったり、それを見ていただくのは本当に気持ちよかったり、やっぱり僕は僕のフィギュアスケートが好きだなって思えた今日の練習だったと思います。またここから練習していくにあたって、いろんな感情が湧いてくるかもしれないですし、ジャンプ跳びたいなとか思いながら練習していたんですけど、でも、フィギュアスケート自体を、靴から感じる氷の感触とかを大切にしながら滑りたいなって今は思っています。
--東日本大震災の時に避難所で一緒だった坂田俊晃さんという方が、金沢市で羽生選手を応援する、応援会報誌をずっと作り続けていて、北京オリンピックで100号となります。本当に坂田さんをはじめ今大会も力を与えてもらったかなと思いますが、改めて受け止めを聞かせてください。
いろんな方々からいろんな声をいただいたり。もちろん「おめでとうございます」にはならなかったかもしれないですけど、でも本当にいろんな「良かった」という声をいただいて、僕はすごくある意味で幸せです。僕は皆さんのために滑っているところももちろんありますし、僕自身のために滑っているところもあります。いろんな気持ちの中で、最近フィギュアスケートというものと向き合っていますけど。東日本大震災の時も感じましたけど、何かをきっかけにして皆が一つになるということが、どれだけ素晴らしいことかということを、あの東日本大震災から学んだ気がしていて。もちろん、辛い犠牲の中でのことですけれども、僕の演技が、皆さんの心が少しでも一つになるきっかけになっているのだったら、やっぱり僕は幸せ者だなと思いますし。それが東日本大震災とか、そういう災害とかではなくて、もっと健康的に、何かを犠牲にすることのない、幸せな方向のきっかけだったらとてもうれしいなと思いますので。こんなに応援していただけて本当に光栄だなと思うと同時に、皆さんも自分を応援することで幸せになっていただけていたりしたら嬉しいなと思っています。