PTSDとは日本語で「心的外傷後ストレス障害」。心が耐えられない衝撃を受け、恐怖や不快感が後まで長く影響することをトラウマ体験と言いますが、その結果、現れるのがPTSDです。アメリカでベトナム戦争からの帰還兵の調査を元に、1980年にPTSDという診断名が生まれました。日本では、1995年の阪神・淡路大震災がきっかけでPTSDが広く知られるようになりましたが、実は第2次世界大戦に従軍した日本兵の中にもPTSDだった者がいたということなんです。

無気力な父は“PTSD”だった…

「PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会」の代表を務めるのは、75歳の黒井秋夫さん。この会をスタートさせるきっかけとなったのは、父・慶二郎さんの存在でした。慶二郎さんは日中戦争で7年近い従軍生活を送ったのですが、戦後に生まれた黒井さんから見た父はこんな人物だったと言います。

『PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会』代表・黒井秋夫さん
「本当に口数が少なくって、何かあった時に相談相手になるような、ちゃんとした判断をできるような人ではなかった。会議で何か態度を迫られるようなことがあって、お前の家はどうするんだみたいに問われても、そういうことでさえ自分で判断しない。みんな私より8歳年上の兄貴か、あるいは母親にぶん投げて、自分は何もしない、何の判断もしない、そういう人だったんです」

何事にも無気力で親子の会話も成立しない父を軽蔑して、1990年に77歳で亡くなった時、涙さえ出なかったという黒井さん。それから25年経ち、その考え方が大きく変わる出来事がありました。

『PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会』代表・黒井秋夫さん
「2015年にベトナム戦争で戦ったアメリカ兵のアレン・ネルソンさんのDVDを偶然見たんです。その中で彼は、自分は英雄になるつもりで行ったんだけど、もうホントに凄まじい戦争で人を沢山殺して、精神を壊して帰ってきた。それから家族に暴力を振るったりして、結局、家族も壊してしまった。自分自身も精神を壊してしまって、元通りの生活に戻れないっていう…」

PTSDを発症した元アメリカ兵の映像を見て、黒井さんは、自分の父もそうだったのでは!?と衝撃を受けます。元々、父を知っていた親戚に聞いた話や父のアルバムを見たりすると、戦時中の父は軍に表彰されたり、軍曹として部下たちを率いるなど、黒井さんの知ってる父とはまるで別人で、精悍な青年だったと言います。 PTSDは1960年代からのベトナム戦争を受けて生まれた言葉です。しかし、それ以前の戦争、第2次世界大戦に出征した日本兵の中にも、殺し合いや自らの残虐行為、軍内のイジメなどが原因でPTSDとなる者がいても何ら不思議ではありません。