昨年9月に亡くなった歌舞伎俳優の二代目市川猿翁さん、そして昨年5月に亡くなった猿翁さんの弟・四代目市川段四郎さんを偲び「澤瀉屋 送る会」が行われました。


「澤瀉屋 送る会」



送る会には歌舞伎界を中心に約700人が参列。猿翁さんの息子の市川中車さん(香川照之さん)、孫の市川團子さんが会見を行いました。

市川團子さん、市川中車さん(香川照之さん)



猿翁さんとの思い出について聞かれた中車さんは、“これは昔のことで時効なので、そのときにいろんな人を怒らせてしまった僕の行動があるんだけれども“と前置きし、“私は非常に父と縁薄く育っておりまして、25歳になる年でしたが、父と一度も会ったことがない、歌舞伎の道に一歩たりとも入っていない違う人生を歩んで、当時俳優にはなっていましたけれども、このままでは父ともう会う機会がないのではないかと思い、ある日思い立って、1990年の春だったと思いますが、父に会いに行こうと決意した日がございました“と明かしました。


市川中車さん(香川照之さん)



そのとき中車さんは、猿翁さんの巡業先に花束を持って駆けつけ、猿翁さんと控え室で2人きりになったそうで、“父が白塗りをしたまま非常に怒りまして。「あなたは私の息子じゃない。あなたと別れたときから私の人生が始まった。あなたは息子でもなんでもない。帰りなさい」と、非常に冷静に伝えられたことを昨日のように覚えています“と、幼い頃から長年会えずにいた父との再会について淡々と語りました。

再会時の父の言葉について、中車さんは、“「あなたのことを愛してる」と、いうふうにしか僕には聞こえなかったんです。僕は非常に泣きました。彼の「あなたは私の息子じゃない」という言葉を聞きながら「愛してる」と言ってくれてると、とても不思議な経験なんですが。僕はこの人に会えてよかったと思いました“と振り返り、“もしかしたら、それは僕の人生にとって「一番幸せな日」だったと言えるかもしれません“と話しました。

市川中車さん(香川照之さん)



そして、父の存在については、“偉大すぎて、まず会ったことがない人だったので、自分の中で解釈ができない人でした。父が病気になってから、何度か会わせていただくようになって、この人は偉大で怖い人なんだなと分かったくらい。他人よりも遠い距離から、始まった関係かもしれません“と、複雑な親子関係を回顧しました。

また、市川段四郎さんの息子で、自殺ほう助の罪で、現在、執行猶予中の市川猿之助さんについて、“(送る会の)もちろんお知らせはしましたし、お話もしましたが、「ご遠慮したい」と“と、「送る会」を欠席したことを明かしました。


市川團子さん



一方、2月4日から新橋演舞場で開幕する、スーパー歌舞伎 三代目猿之助四十八撰の内「ヤマトタケル」で、市川團子さんが主役のヤマトタケルを演じるにあたり中車さんは、“歌舞伎界の常として、主役を演じた人が、次に(主役を)演じる役者に口伝で伝えていくというのが常でございます。その意味では、父(三代目猿之助・二代目猿翁)が作り上げた「ヤマトタケル」を、12年前に四代目(当代猿之助)が初役を務めた時に事細かに聞いたのは四代目です。その父から、四代目に伝わったことを團子に役者として話を伝えていくという作業はしていただいています“と、明かしました。


中車さんは、“僕たちも父と叔父の思いを継いで、僕は微力で力がありませんけれど、息子をしっかり育てていくことを目標に置きまして、しっかり前を向いていきたいと思います“と決意を新たにしていました。


【担当:芸能情報ステーション】