
18歳で右翼の世界に飛び込んだ中村さん。右翼といえば、愛国を謳い、自国優位を掲げるあまり排他的な側面を見せることもありますが…
東京選挙区から出馬 中村之菊さん
「1880年代、90年代に活発だった右翼って、すごく中国とも親睦があって。みんなそれぞれが、どうやったら今をよくできるか、対話してきた側面があって。私はこれが“ザ・右翼”だと思っていて」
中村さんは考えの違う人たちとの“対話”こそ、大切にしてきたといいます。2016年に自らの右翼団体を立ち上げた頃、中村さんはたびたび沖縄に足を運ぶようになります。
見えてきたのは、過重な基地負担の現状。
日米安保体制に守られた本土が、負の側面が強い“基地”を沖縄に押し付ける構図。右翼活動では変えられなかった現状を、政治活動で変えるのが出馬の理由でした。
東京選挙区から出馬 中村之菊さん
「私たちが私たち責任をとる。こういう姿勢がない場所に、日米安保という安全保障は存在しないのではないか。本当に基地が必要だというのであれば、東京湾にもっていきましょうよ」

“米軍基地を東京に引き取る”上で。之菊さんが移設先に提示したのは東京湾。壮大な構想の拠り所は、1959年、当時の政界や財界の大物らが示した「ネオ・トウキョウ・プラン」です。予算の都合で断念はしましたが、人口過密問題解消のため、東京湾の3分の2の埋立てを綿密に計画したものでした。
誰かに基地引き取り構想を問われれば1から説明する用意をもって。中村さんは街頭に立ちますが、多くの人は気にも留めません。
それでも、耳を傾ける人達の姿が。
「一番大事なことは沖縄から、基地を取り除いて、それを自分たちが住んでいる所に持ってきますよと。それを本気で言えるのが大事だと思うし。中村さんはそれを主張し続けてブレない。そういう所がすごいと思っています」
他の場所での街頭演説でも。

「やっぱり沖縄だけに、危険を押し付けるのはよくない。それを含めて安保をみんなのものとして、考えなければならない」