彼の希望は、アメリカへの亡命。米ソ冷戦下、希望はすぐに認められ、3日後にアメリカへ出国しました。

アメリカへ出国するベレンコ中尉(当時29)

 その後、問題は函館空港に置き去りにされた、ミグ25の機体でした。ミグ着陸の翌日、函館では、ソ連が、機体を奪還しに来るのではないか。そんな不安が高まっていました。

函館空港に残されたミグ25

 

空港に集まる子どもたち

 

ミグ25を見ようと空港に集まる人たち

 この頃、北海道周辺では、識別不明機が増加。漁船の拿捕も、相次いでいました。
 『ミグ25を奪回、もしくは破壊するために、ソ連軍ゲリラが日本に侵入する』
 アメリカからもたらされた、最も信頼度が高い「A・1情報」です。

 函館にソ連軍が侵入すれば、街は戦場と化す。
 函館駐屯地の緊張は、一気に高まりました。弾薬が隊舎に配備され、駐屯地の全隊員700人あまりが、戦闘服にブーツで、泊まり込みで勤務につきました。